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natures wisdom - the main theme of the world exposition, Aichi
       
EXPO 2005 CR

EXPO and the CREXPO and the CR

1993年大田万博

1993年8月7日から11月7日にかけて、韓国の大田市(アルファベット表記はTaejonuだが、別の表記ではDaejeonとも書き、撥音は“テジョン”と読む、1995年の段階で人工1272000人)において、特別世界博覧会が開催された。博覧会のモットーは「The Challenge of a New Road to Development.(新しい発展の道への挑戦)」だった。この世界博は、韓国が始めて万国博覧会で紹介されてから100年を記念して開催された。その博覧会とは、シカゴで1993年に開催された“世界コロンビア博覧会”だった。大田万博では、我々の国が万博史上始めて、“チェコ共和国”として参加した博覧会でもあります。しかし、これと言って、スロヴァキアと一緒だったときと別段かわりはなかった。この時の万博チェコ政府代表はハナ・ハヴロヴァー氏だった。パビリオンの企画、設計、さらにアートディレクターも含めて全てを、建築家のペトル・フフスが担当した。このときは、主催者側の参加国への参加要請が遅れて、準備の時間は比較的少なかった。新生チェコ共和国がこの万博のために計上した予算は、全く持って十分なものだった。私達の国の162?と小さい展示スペースは、韓国人にとって、あまり気に入るものではなかったらしく、僅か数分で我が国のパビリオンから、退出する入場者が多かった。万博の場では常に成功を収めてきた、伝統のチェコスタジオガラスの展示への反応も鈍かった。9月29日水曜日に行われた、チェコナショナルデーの催し物の際は、財務大臣カレル・ディバ率いる政府代表団も参加した。当万博には、1400万人の人々が訪れ、そのうち50万人が韓国人以外の外国からの人々だった。事前に参加を表明していた115ヵ国のうち108ヵ国(チェコ共和国を含む)と23国際機関が最終的に参加した。主催者は、計上した30億ドルにのぼる支出を批難された。万博会場は、90ヘクタールで、そのうち、パビリオンにあてられたスペースが25ヘクタールであった。チェコ共和国は、科学技術の分野での人類の発展への貢献についての展示をはじめ、文化、産業、伝統の分野の展示をした。我々の国の経済水準に関するインフォメーションサービスを、コンピュータシステムとチェコの企業に関するデータベースを提供したコメルチニー・バンカ(商業銀行)が担当した。入場者たちは、我々の展示スペースの人の流れの悪さに、苦情を訴えたが、視野を広げてみると、何も我々の展示だけが人通りが悪かったわけではなく、他の数々の展示やパビリオンの前にも長い列ができている始末であった。

ヤロスラフ・ハラダ