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natures wisdom - the main theme of the world exposition, Aichi
       
EXPO 2005 CR

EXPO and the CREXPO and the CR

万博ゆかりの人々

 チェコスロヴァキアにとって、1967年モントリオール万博は起点となる博覧会であった。同万博でチェコスロヴァキア代表は、最も人々を魅了したプロジェクトを成功させた。そして、その成功は、1970年大阪万博でも引き継がれた。この成功の影には、特に当時の万博チェコスロヴァキア政府代表ミロスラフ・ガルシュカ氏、並びに建築家でプロジェクトの企画者であったミロスラフ・ジェパ氏の功績があった。

ミロスラフ・ガルシュカ

 1967年モントリオール万博及び1970年大阪万博のチェコスロヴァキア政府代表、新聞記者、翻訳家、映画プロデューサ、ジャーナリスト、外交官、1968年〜1969年の改革期の文化情報大臣。

ミロスラフ・ジェパ

 著名な建築家、1967年モントリオール万博展示企画者、1970年大阪万博及び1992年セビリア万博展示共同企画者。

ヴラジミル・ピーハ

建築家、多くの重要な建築プロジェクトの企画者。1965年、ミロスラフ・ジェパ氏と共に、1967年モントリオール万博のチェコスロヴァキアパビリオンの企画を国内コンペで勝ち取った。1989年以降、再び万博に関わるようになり、1992年セビリア万博の準備に参加した。

ラヂスラフ・ストゥナル

 ラヂスラフ・ストゥナルは、20世紀のチェコを代表する商業デザイナーで、あらゆる方面で、彼の美術の才能は開花した。その分野は、人形劇制作、タイポグラフィー、舞台美術、応用デザイン、広告、インテリアデザイン、教育、展示会と幅広かった。米国では、クヌト・レンベルグーホルムと共に情報視覚伝達デザインの先駆者となった。ストゥナルは、情報化時代の到来を予見していた。そして、彼の代表的な書籍「ヴィジュアル・デザイン・イン・アクション」(同名の展覧会のカタログとして出版された)は情報化時代の頂点を示すものとなった。米国の経済力はストゥナルに非常に多くのデザインの機会をもたらしたが、その反面、この消費社会が、アヴァンギャルドの理念から離れ、もはや、ストゥナルの発展し続ける発想を受け入れる事ができなくなってしまった事に失望させられた。美術家、理論家、そして、情報化社会への先駆者としてのストゥナルの豊かな経歴が最後に行き着いたのは、様式化された裸婦像であった。

ミルシェ・ロウビーチュコヴァー

著名なガラス造形作家;作品には、普段使用されている物を用い、滑稽で冗談が込められた彼女の内なる詩の世界を創造している。

レネー・ロウビーチェク

芸術院会員、ガラス作家、ガラス彫刻の先駆者。戦後のガラス派の世代に属する。─ 様々な技術を駆使し、アートガラスの自由な創作、建築分野や工業分野とのコラボレーション(ユニークなライティング)

アルフォンス・ムハ

世界で知られているチェコの芸術家のうちの一人。彼が装飾主義に与えた影響は絶大で、この時代を、ムハスタイルと言うこともある。1900年のパリ万博では、チェコの芸術家の中で、もっとも大きな成功を収める。

ヤロスラヴァ・ブリフトヴァー、スタニスラフ・リベンスキー

20世紀のチェコガラス美術に、最も影響をもたらしたアーティストのうちの二人。かれらの共同制作は、20世紀後半の新しい芸術に相応する素材として扱うことを可能にした。リベンスカーとブリフトヴァーが40年来用いてきた、キャスティング、カットガラスの技術を、完成させ、ガラスの本質である、光の性質を作品に導入した。

ヤロスラヴァ・ブリフトヴァー - 経歴
スタニスラフ・リベンスキー - 経歴

ヨゼフ・スヴォボダ

チェコの舞台美術家、建築家。1948年より、プラハ国民劇場の舞台美術を務め、1958年には、ラテルナ・マギカ劇場の創設に参加する。新しい上演技術をもたらした:近代的な技術の導入(フィルム、テレビ、レーザー、ホログラフ)、新しいオーディオヴィジュアル技術による実験的試み(ラテルナ・マギカ、ポリエクラン)。

ヴァーツラフ・バルトゥシュカ

カレル大学卒業、小説家、新聞記者、2000年にハノーヴァー万博のチェコ共和国政府代表に任命される。2004年、ヴァーツラフ・ハヴェル記念図書館館長に就任する。