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natures wisdom - the main theme of the world exposition, Aichi
       
EXPO 2005 CR

EXPO and the CREXPO and the CR

1970年 大阪

チェコスロヴァキアの万国博覧会における成功の時代は、1970年の大阪万博で終焉を迎えた。

チェコスロヴァキア政府代表には、再びミロスラフ・ガルシュカ氏が任命された。パビリオンの設計を、建築家アレシュ・ヤネチェク氏、ヴラヂミル・パラ氏そしてヴィクトル・ルヂシュ氏が担当した。プロデュースをヤン・スカーツェル氏及びアドルフ・クロウパ氏が行った。パビリオンは平面的に建てられた。目を惹く部分は、パーゴラを思い起こさせるような、ガラスに覆われた屋根であろう。我が国のパビリオンは日本の建築研究所から最優秀パビリオンベスト3に選ばれた。

展示の内容は、ガラス、金属、木の3つの素材から構成されていた。すべての基本テーマ別エリア間を、S.リベンスキー氏とJ.ブリフトヴァー女史による有名な「命の川」が結んでいた。興味深いのは、スタニスラフ・リベンスキー氏は、「命の川」の一部に釘の刺さった靴の足跡をつけて、ソビエト軍によるチェコスロヴァキア占領への抗議を示した。しかし、この展示は設置する前に修正を余儀無くされた。

他のアーティストで目についたのは、ガラスのコラージュ群のイジー・コラーシュ氏、「戦争の脅威」のヴァーツラフ・ヤノウシェク氏、非公式タイトルではあるが「軍隊の入口」または窓ガラスのチェストミール・カフカ氏、そして大阪でもやはりラテルナ・マギカ劇場であった。

大阪万博におけるチェコスロヴァキア共和国パビリオンへは、万博全入場者6人あたり1人の割合で入場したことになり、我が国のパビリオンの総入場者数はモントリオールの時の入場者数を超えて、1050万人もの人々が訪れた。

出典:「万国博覧会─1851年ロンドン万博から2000年ハノーヴァー万博まで」ヤロスラフ・ハラダ氏、ミラン・フラヴィチュカ氏著、2000年LIBRI出版