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natures wisdom - the main theme of the world exposition, Aichi
       
EXPO 2005 CR

EXPO and the CREXPO and the CR

1935年 ブリュッセル

1935年のブリュッセル万国博覧会のチェコスロヴァキア政府代表は、ラヂスラフ・トゥルノフスキー氏であった。パビリオンのデザインはアントニーン・ヘイトフム氏が担当し、施工をベドジフ・シロテク社がわずか5週間で行った。展示の搬入もわずか1週間で完了させたが、最終的な仕上げはパビリオンのオープンに間に合わなかった。

我が国のパビリオンは展示の見やすさが特徴だった。展示はすべて、空間片側に配置されていて、入場者の興味を効果的に盛り上げ、かつ、自然光で照明された展示ケース内の展示に集中できるようになっていた。ベルギーの建築家J.ヘンドリクス氏は「展示物を自然光で照明するという方法、ギャラリーの片側のみの展示、クリスタルのパーテーションなど、チェコスロヴァキアパビリオンは最も興味深い方法で、展示技術の発展に貢献した」と高評価している。入場者は入って来た階段から出て行くようになっていて、ここにも展示の簡素化の工夫が見られた。

広いエントランスホールには、CKD社の旅客機「BABY」が吊るしてあった。入場者をまず迎えるのが、ヤン・シュチェヌ氏によるT.G.マサリク大統領の像であった。ホールはトリコロールでコーディネートされていた(青い天井、左の壁を覆うロウが塗られた白いカンバス、右の壁の赤い壁紙)。小さな国旗は、その動きで人々の目を引いた。何の動きも無い空間だが、この国旗だけはポールに仕込まれた小さな送風機ではためいていた。エントランスホールの壁には、カレル四世のカレル大学設立から始まった学問の伝統が、ブルノやブラチスラヴァの大学設立と続いているという内容の展示がされていた。エントランスホールから出る前には、壁に沿ったアメジストの青いガラスの棒とガラス張りの中庭を通して、パビリオン全体を奥まで見渡すことができた。そして、狭い通路を通って進むと、7メートル幅で反った形の大タトラ山地のフォトジオラマに行き着く。このフォトジオラマは、半円形に並べられたガラスの棒に埋め込まれていて、このような形状の表面には、あたかも水が流れているような湖の幻影を造り出している。そして、1階横別館の展示へ続いている。ここでは、V.チュティジョキー氏が理事を務めるフラデツ・クラーロヴェーのガラス研究所による素晴らしいインスタレーションが見られた。「光とガラスの遊戯」は、J.ブリフタ教授の手による水槽及び、ヨゼフ・ドラホニョフスキー教授の作品のゼレニー・ブロトのガラスでできた海中の世界であった。自動車の部門では、アエロ社、シュコダ社、タトラ社、が各社1台ずつ展示し、最も高い審査委員の評価を得たのがコプシヴニツェのタトラ社の車両だった。磁器と観光業のブースの次には、プルゼン市民ビアホールがレストランを出していて、訪れる人々にチェコ料理を振舞っていた。それから入場者が通るのが、バチャ社の展示と、中央農業協同組合による、農業関連の展示であった。噴水のある中庭を眺められる、ガラス張りの箱の中では、我が国の現代の家庭文化の見本展示や楽器、数々の博覧会で成功を治めてきたペトロフ社が自社のピアノの展示を行った。展示の殿をつとめたのが、繊維業界の展示であった。我が国の展示全体では、90以上の企業及び団体が展示に参加した。国際審査委員会は、チェコ共和国の展示者の中から26の展示者にグランプリを授与した。7月にはベルギー国王レオポルド三世が我が国のパビリオンを訪れた。万博の全体入場者数1900万人のうち、350万人もの人々がチェコスロヴァキアパビリオンを訪れた。パビリオン以外展示では、世界の現代アート展に参加した。ここでは、チェコスロヴァキアからは、現代彫刻6点、現代絵画3点を紹介した。建築の分野も造形美術として展示され、40人もの建築家の作品が出展された。

ヤロスラフ・ハラダ