CZENJP
natures wisdom - the main theme of the world exposition, Aichi
       
EXPO 2005 CR

Accompanying eventsAccompanying events

チェコ共和国ナショナルデー

6月24日の万博会場は、まさに文字通り、チェコ共和国一色に染まった。チェコ共和国は、参加120ヵ国の中にあって、自国紹介のハイライト行事を、万博会場内の両コンサートホール、さらにはチェコ共和国パビリオン周辺のオープンスペースにまで大々的に展開した唯一の国だった。まずは、この大いに複雑な行事が、どのような経緯を経たか見てみよう。

我々のナショナルデーで、何をどのようにして観衆に紹介するかを、ただ決定するだけのように思われるくらいに、“容易さ”と“巧みさ”によって行事は周到に準備され、ついては現実化されていった。しかしこれも容易な作業ではなかった。「チェコ民族、これ、みな音楽家」という格言もさることながら、まずとりわけ、チェコの音楽文化が、世界的にもトップレベルにあることから、音楽を紹介することに決まった。チェコ人は、作曲家であれ演奏家であれ、日本において確固たる地位を築いており、常に日本の舞台をにぎわせている。2003年より、専門家委員会が組織され、数多くのトップオーケストラ・民族舞踊団・合唱団の中から万博来場者に紹介するに相応しい者の選考に従事してきた。さらに、選考委員会は、あらゆる音楽ジャンルを通じて、観客に豊かな文化という点で、全チェコ共和国を紹介しようと努めた。最終的に、指揮者ペトル・アルトリフテル率いるプラハ市交響楽団F.O.K.およびトップソリスト、趣あるコラボレーションのエミル・ヴィクリツキー・トリオとズザナ・ラプチーコヴァー、世界的に成功しているリベレツ市のセヴェラーチェク児童合唱団、そしてコズロヴィツェ村の民族舞踊団のヴァラシュスキー・ヴォイヴォダが選出された。

他の時期なら穏やかな気候の名古屋とその周辺は、チェコ共和国ナショナルデーの日は、梅雨の真只中で、猛烈な暑さと湿度のサウナと化す。この点で、我々は観衆の出足を心配したが、幸いにも、万博におけるチェコ共和国は天をも味方につけ、終日、好天に恵まれ、万博会場は数万人の入場者を招いた。しかし、万博会場を群集の渦と化したのは、もちろん天候のせいだけでなしえるものではないだろう。チェコ共和国ナショナルデー前の2週間は、チェコ共和国パビリオンは、あらゆる入手可能な情報をキャッチしようと日本全国からやって来た群集に包囲された。我々にとって驚くべきことは、我々に関心のある人々の中に多数の若い世代の人々が含まれていることであった。しかしながら、彼らは大阪でのチェコスロヴァキアの成功を知らず、彼らの親やその親から語り継いで、我々のナショナルデーを見ずにはいられないことを確信したのであった。さらに、世代を超えて全ての人々が、我々が発行したチェコ共和国ナショナルデーについて語ったカタログや、プログラムによって、興奮は絶頂に達した。両方とも、パビリオンにおいて無量で配付されていた。

我々への関心は日本のマスコミにも随所に見られた。ラジオでは、告知を流したり、我々はインタビューを受けたりして、我々のナショナルデーやパビリオンの広報に努めた。公共報道機関のNHKの注目すら我々は惹き付け、午後の30分番組に我々をとりあげ、ナショナルデーでプラハ交響楽団と祝賀ガラコンサートと共演することになっていた、クラリネット奏者のルドミラ・ペテルコヴァーが、その輝かしい演奏で視聴者を魅了したことは、日本の国民にとっては記憶に新しいことだろう。最終的に、ナショナルデー当日は、即、テレビ局3局を、我々は迎え入れ、それぞれ一日中、パビリオンやコンサートホールの生映像を、視聴者に提供した。もちろん、チェコのマスコミも黙ってはおらず、おかげで、チェコの国民は、チェコ共和国ナショナルデーのプログラムを前もって知り、そして、その当日の進行具合を知ることができたのであった。

多くの記事に、“日本人にとってチェコ共和国が意味すること”や“日本人がどのようにチェコ共和国の文化を評価しているか”などが書かれた。しかし我々を驚かせたことは、チェコについて知識を持っているのが、年輩だけでなく、若い世代にも及んでいることだった。日本人の辞書において顕著に目にするのが、スメタナ、ドヴォルザーク、ザトペック、チャースラフスカーといった名前である。誇張無しに言えることだが、これは日本のどこのタクシー運転手でも知っていることなのだ。日本ではこのような殆ど辞典ともいえる我々の国や文化についての知識が、わけなく披露されるのである。そんな日本であるが、しかし、我々は万博において、新しいもの、今までに知られていなかった名前や顔を紹介する使命を帯びていた。そこで我々は、“古く安定した星”ではなく、“新鮮な光放つ新星”、つまり、日本の舞台で初お目見えの若きアーティストを選んだのだった。このことは、なにもチェコ共和国ナショナルデーに限ったことではなく、全ての関連行事にも当てはまることである。我々が意図していることは、すでに6月24日以前に開催された“〜週間”行事の類で、正しかったことが実証済みである。なぜならば、何万人もの観客を、パビリオンやコンサートホールに動員したからである。しかしながらなお、我々は、日本の国民がどのように我々の全日行事を受け入れるか、緊張をもって見守ったものである。

EXPOドームでの開会セレモニーが始まるだいぶ前から、この万博のメイン文化ホールの前には、少しでも良い席を確保しようとする観衆による群集ができていた。この長い行列の眺めは、我々にとって幸先の良い吉兆に思われ、我々は満を持してEXPOドームに入場した。そこで我々は信じられない光景を目の当たりにした。3500人収容可能なホールが、開始1時間前には、完全に観衆で埋め尽くされ、会場に入りきらなかった群集が、“せめて一つの席が空きますように”と悲痛な希望を抱いて、なお、ホールの前でどよめいているのだった!これは、まったくもって尋常なことではなかった。大方の内容が非常に形式的になりがちなオープニングセレモニーへの、このような観衆の関心の大きさは、かくも、アメリカ合衆国、ロシア、ドイツといった大国のナショナルデーですらなし得なかった程である。長蛇の列を会場入口まで誘導しなければならなかった、日本の主催者側にとっても、関心を超えて驚きをもって見ていた。

午前11時きっかりに、祝賀ファンファーレが鳴り響き、EXPOドームの壇上に、ワタナベ・タイゾウ万博日本政府代表をはじめ、トヨダ・ショウイチロウ万博協会会長、ヴラヂミール・ダリャニン万博チェコ共和国代表、イジー・パロウベク・チェコ共和国首相といった、この日の主役達が入場した。まずは、日本側の代表者達による、チェコ共和国の文化の豊かさを賞賛し、特に、オリジナリティーを遺憾無く発揮した愛知万博におけるチェコ共和国の、現時点での成功をたたえる挨拶があった。そして、我々の首相は、自身のスピーチの中で次のように語った。「チェコ共和国は、この度の万国博覧会への参加を表明した最初の国の一つです。これは、チェコ共和国政府が、万国博覧会とその理念に対して、如何に重要視していたかという、明白な印であります。チェコ共和国は、万博の理念を満たすべく、並びに、2005年愛知万博の成功へ向けて、誠実に、自分達の仕事に取り組みました。」開会セレモニーの後、観衆が切に待ち望んでいた、文化プログラムのオンパレードが、終日に渡って行われました。日本の民謡までもレパートリーに抱えている、リベレツ市のセヴェラーチェク児童合唱団は、上演終了即、喝采を浴び、コズロヴィツェ村のヴァラシュスキー・ヴォイヴォダが、ラシュスコ・ヴァラシュスコ地方の民族舞踊を披露するに至った時には、日本の群集は、まさに総立ちとなった。そして午前中の部のプログラムを演出したのは観衆であった。その瞬間、ホール全体は、全観衆が興奮して、頭上でチェコ共和国の国旗を振り、まさに、国旗が踊り舞い上がっているようだった。我々には、日本人達の中で、チェコ共和国とその文化は、依然として高い価値のあるものだと見て取れた。

その後のプログラムも同様の雰囲気に包まれていた。グローバル・コモン4の野外会場では、劇団コンティヌオが、高足に乗った魔術的な上演で群集を集め、その場にいる観衆の心を掴んでいた。EXPOホールでは、ズザナ・ラプチーコヴァーとエミル・ヴィクリツキー・トリオが織り成す、モラヴィアのフォークロアとジャズの繊細な共演、さらにセヴェラーチェク児童合唱団とヴァラシュスキー・ヴォイヴォダが、それぞれの上演で日本の観衆を魅了していた。そして圧巻が、再びEXPOドームを完膚なきまで埋め尽くした、午後の祝賀ガラコンサートであった。このプログラムの案内役を務めたのが、マルチン・ヴァチカージと、数ヵ月にも及ぶ交渉の末、今回の出演に至った、人気テレビ局フジテレビジョンのアナウンサーのサトウ・リカであった。驚異の能力を遺憾無く発揮したのが、指揮者ペトル・アルトリフテル率いるプラハ市交響楽団F.O.K.ならびに、ハナ・コトコヴァー(ヴァイオリン)、ヤナ・ボウシュコヴァー(ハープ)、ルドミラ・ペテルコヴァー(クラリネット)、そしてイジー・バールタ(チェロ)らソリスト達であった。演奏目は、2005年愛知万博のテーマ「自然の叡智」を反映した作品が選ばれた。チェコ共和国パビリオンのロゴが入った風船で会場が埋め尽くされた、最後の演目であるスメタナの「モルダウの流れ」を日本の観衆と共に迎えたときなど、言葉では言い尽くせないものがあった。いつまでも止まない耳を引き裂くような喝采や興奮の渦は、チェコ共和国ナショナルデーに関わった我々全ての人々向けられた、最高に美しく、最高に心地の良い、これ以上ない謝辞であった。2005年6月24日は、文字通り、チェコ共和国が2005年愛知万博会場を魅了し、我々のモットーである「小さな国に大きな好機」を実践したのであった。ヨーロッパの心臓部に位置する小国は、この日、遠方の国の日本において、再び何千人もの観衆の心に刻み込まれ、そしてこのことは、この忘れ難き日に関わった人々皆への感謝となる。