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natures wisdom - the main theme of the world exposition, Aichi
       
EXPO 2005 CR

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チェコガラス週間

現代チェコガラス界の動向

1989年以前においてもチェコガラス界は政治的抑圧を受けることはなかった。それ故、プラハ美術工芸大学ガラス科の新体制はチェコスタジオガラスにおいて革命的な変化をもたらした。1991年、この大学の教授にヴラジミール・コペツキーが就任し、ガラス作家であるイジー・ハルツバは教授になるとともに学長を兼任することとなった。彼のアトリエは1993年にマリアン・カレル教授に引き継がれた。こうしたことは、長年のチェコガラスに変質をもたらした。この2人の教授はアトリエの教育法に新たな要素を吹き込むことに力を注ぎ、スタニスラフ・リベンスキー教授や、あるいは彼の後継者達のガラスに対する芸術観とは異なる、新たなコンセプトを提起することに努めた。画家としてガラス作家として幅広く学んだヴラジミール・コペツキーは、一般的な芸術創造の概念、すなわちガラスはそれ自体に重要な役割があるが、必ずしも全てに優先するものではないということを学生達に教えるために、自由なアプローチの仕方を採用した。またマリアン・カレルは、彼自身の芸術信条をアトリエで実践した。それは建築空間もしくはインスタレーションと結びついた、自由な創造に基づくものであった。“リベンスキー・スクール”では、新しいメディアとしてのガラスの芸術的復権、あるいはガラスを用いた実験的性質による創造を行うことで、その芸術的価値を石やブロンズ、キャンバスなどの伝統的なメディアによる世界最高峰の作品群と同等にまで引き上げることを目指していた。それに対して新体制下におけるプラハのガラス学校は、より個別的であり、ガラスもしくはそれ以外のメディアを用いて、彼ら独自の芸術的メッセージを主張することを学生達に教えようとした。それゆえ前述の2つのアトリエの学生や卒業生は、きわめて自由に制作活動をしており、システマティックではなく、条件や必要性、もしくはコンセプトによってガラスを用いている。しかし“表現したい事が自ずと目的になる”という方向性はそれほど真新しいものではなく、またこの方向性自体も移り変わっていく必要がある。現在学校では“デザイン運動”に力を注ぐ傾向が強くなってきており、今後も若い教師陣による新しい世代の登場と共に、学校教育の役割に対する見解は再び変わっていくだろう。しかし、ガラスという限定された領域から解放された幅広い創造性は、80年代におけるリベンスキーの生徒の一部にもはっきりと見て取れる。そうした世代は1950年代から60年代の転換期に生まれており、例えば解散した「トゥヴルドフラヴィー(石頭)」と言う芸術集団の面々は、ガラス以外にも本のイラスト、セラミック、グラフィックアート、絵画、彫刻、写真、音楽などを制作していた。リベンスキー教授自身が絵を描いたり、デッサンしたりすることは、それ自体の最終的な作品がガラスであるということを認識していたので、教授はそういった彼らのイニシアチブを否定しないばかりか、非難すらしなかった。しかし今日では、ガラスと、例えばビデオアート、絵画、彫刻、その他の芸術ジャンルとを組み合わせる傾向は非常に一般的になっている。

現在40歳代の世代は、チェコガラスの創始世代が成し遂げた独自の成果を、さらに別の次元へとより本質的にシフトさせた革新の世代として認知されている。従来のモダニズムのアプローチをポストモダニズムの方向に転換させたのはまさにこの世代の人々だったのである。またこの世代はちょうどチェコガラスのモダニズムとポストモダニズムの境目に位置してもいる。つまりモダニズムのコンセプトであるミニマルアートへの傾倒、コンセプチュアル、幾何学(的抽象)、構成主義などは、どちらかというと50歳代近くからそれ以前の世代に見られるものであり、それに対して、日常的な問題への回帰、ユーモア、皮肉、エロティックな挑発、平凡と陳腐による衝動、異なる歴史的時代から引用した自由創作など、要するにポストモダニズムの限りないテーマを形成する全てのものは、今日の中堅世代やより若い世代のアーティスト達に見られるのである。とはいえ、これらモダニズムとポストモダニズム双方の中にも例外は存在する。(例えば、一方では、チェコガラスの最も古い世代であるロウビーチェックによるポップアート的なコンポジション、そしてもう一方では、若いパヴェル・ムルクスの第二のモダニズムの様相を呈した作品などである)。