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チェコガラス週間はじめに 視覚芸術にとって、空間が“実際の自然界の環境”1)の上に成り立つものであれば、透明な素材であるガラスは、もう一つ多くの次元を備えていることになる。ガラス造形作家は外的空間との関係という基本的な制約を超越し、次なる空間、つまり私たちが見ている壁や物体の内部、あるいはしばしばその外部にある空間をもあわせて、仕事を成し遂げるのである。この内的空間を、現実の空間として見るか、それとも単に反射がもたらしたイリュージョンとして見るかということは重要ではない。ブロンズや石など他の素材での作品では、外と内の空間を同時に認識することは出来ない。ガラスの場合のみこのことが可能であり、これはこの造形の最も大きな特質の一つなのである。 網膜に映る物理的反射線は視覚の必要条件である。したがって一般的に、美術作品は光の下においてのみ知覚することが可能となる。光の存在は、視覚芸術における全ての作品を制作する際に必ず考慮に入れなくてはならないものなのである。透明性や半透明性を基礎とする芸術概念は、その根本的な構成要素として、そしてしばしばそれ自身が持つ色彩の根源として、光の存在を取り入れているのである。 空間 ─ 光(色彩)は、チェコの実験的ガラス造形の基礎である。これらの要素を用いた制作のアプローチは作家それぞれで異なっており、その幅も容認派から故意にそれを抑制するものまで幅広い。とはいえ、光と空間は、本展覧会を特徴づけるガラス概念の偏在的な要素であり、それゆえ本展覧会のタイトルとして用いられ、作品に共通した視覚的基盤を想起させるものとして定義されている。 ところで日本においては、チェコの実用ガラスや装飾ガラスは遅くとも既に19世紀後半には人気を博していた。ガラスの新たな形態を提起する自主的な美術作品として日本に紹介されたのは、1970年の大阪万博の時である。日本ではガラスシーンというものが始まったばかりの頃だった。スタニスラフ・リベンスキー、ヤロスラヴァ・ブリストヴァー夫妻の「生命の川」やロウビーチェックの巨大な「雲 ─ 生命の源泉」は、大阪万博を訪れる何百万人もの人々を驚愕させた。それは世界のガラス界の歴史的な出来事として位置づけられるものでもあった。 造形デザインを基本とした個々のチェコガラスの作品は、1950年代になって世界に広く知られるようになった。その後もチェコのガラス作家は、主に1958年ブリュセル万博、1967年モントリオール万博などで世界に紹介され、展覧会においては常に関心を惹きつけ、チェコのガラスに対する世界の人々からの賛同を得るようになっていった。つまり1989年以前における世界との結びつきは、チェコ国内における民衆の苦難の時代、あるいは芸術活動の抑圧などによってでさえも中断されることはなかったのである。その後1989年以降に旧チェコスロヴァキアの全体主義体制から民主主義に移行され、それまで閉ざされていた門が世界に開かれることになった。国際的な繋がりは考えられないほど容易になり、また強くもなった。現在、チェコのガラス芸術は以前にもまして世界に知られるところとなり、作品は人々を魅了し、収集家の手に渡り、世界の美術収集品となっている。また彼らの作品は研究されているし、また、忘れてはならないことは、模倣されてもいることである。チェコのガラス作家達は、今では国際的なシンポジウムに出かけ、外国で作品を発表し、作品に対する賞を獲得している。また一方で、日本を含む世界中の大学やコース、サマースクールで教鞭を執っている。 |
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